先日、セッションのことってあまり書かれないですよねと言われたのに、今日もまた関係ない記事を書こうとしている…。こんにちは。三津香です。具体的なことよりも、なんだかふわふわしたことを考えたり、書いたりする方が好きなのですよね。今度からはもう少しそういうことも書くようにしよう。でも今日はまた読んだ本のお話です。笑
以前からずっと書こう書こうと思っていたマゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』についてようやく触れるわけですが、みなさんは読んだことがありますか?私はサドの本は読む機会があったけれど、なぜかマゾッホの本は今まで読んだことがありませんでした。世の中でもどちらかというとサドの本の方が読まれているような印象を受けます。芸術家や哲学者たちに何度も「発見」されてきたからその余波なのかな。
「毛皮を着たヴィーナス」という言葉自体は有名ですよね。マゾヒズムの語源になった人、マゾッホの代表作として、教科書にも載っていたような。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲のタイトルにもなっていますよね。Velvet Underground - Venus in Furs
私は音楽が好きで学生時代は古いCDを調べて色々聴いたりもしていたのですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのこのバナナのアルバムは通学中によく聴いていました。タイトルを見て「あ、SMだ。かかわらないでおこう…」と思いつつも深く考えることなく聴いていましたが、こんな歌詞だったんだ。こんな曲を朝一で聴いていたから、私、ミストレスになっちゃったのかな…。興味のある人は調べてみてくださいね。笑
さて、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』、前後はさておき、私はなかなかの傑作だと感じました。読まれた方はどのように思われましたか?未読の方にも是非一度読んでいただきたいです。変態諸氏の感想も聞いてみたい。あらすじはもうご存知の方も多いかもしれませんが、ウィキペディアにいい感じにまとまっていたので引用してみます。
こんな感じです。これだけでゾクゾクしてしまう人も多そう(笑) 直接的な猥褻シーンはほとんどないかもしれません。でも、変態さんたちには大変なんじゃないかな。ゼヴェリーンの挿話全体がフェチに次ぐフェチのオンパレード、そしてゼヴェリーンに"教育"され、サディストとして目覚めていく女性、ワンダの描写の素晴らしいこと!窒息しそうなほどの大ボリュームでにやにやし、時には笑いころげ、うっとりしたりもしながら、一気に読んでしまいました。
冒頭で紹介される絵画があるのですが、その描写だけでも私は笑いが止まらなくなってしまいます。どんな絵か気になるでしょう?それはね、長椅子に寝そべり毛皮を着た女性が片手に鞭を持ち、足元にいる奴隷らしい男に足を載せながら今にも気まぐれをおこして鞭でその男を打つのではないかという雰囲気を漂わせているというもの。これだけで天に召されてしまいそうな方も多いと思うのですが、いわゆるノーマルの方にはぴんとこないのかもしれません。本当に?信じられない…。
ゼヴェリーンを訪ねてきた友人がこの絵をよく見ると、この跪いている方の男の顔がゼヴェリーンだったと気付くシーンもかなりおかしいです。その後、普通に会話を続ける二人。この展開も別の意味で無理だわ…。シュールすぎてお腹が痛い。笑
これは小説を書いた後にマゾッホ本人が愛人と撮った写真なのですが、
『ヴィーナス』に登場する絵画そっくりです。
マゾッホは大学教授で小説家としても成功していたそうですが、小説の構造もなかなか複雑ですよね。ドイツの小説家らしく、ゲーテの『ファウスト』を引用したりしています。(『ファウスト』は戯曲ですが、これも私の人生の一冊かも。常々ファウストみたいに生きて、最終的にマゾの天使か何かに救われて、天国へ昇ってやろうと考えています笑)
時代としてはマゾッホはゲーテと入れ違うように生まれているのですが、やはり当時の小説の空気感を継承しているように思います。重厚でスケールが大きく、読み応えのある大小説で面白かったので、変態ではない読書家さんにもおすすめできるかも。私は「その結論はどうなの?」と思ったゼヴェリーンの格言ですが、そうした教養小説めいた構造、つまりゼヴェリーンとワンダの恋愛の挿話が別視点で語られた手記として挟み込まれているところなども古典的でなかなかよいなと思いました。
ワンダの台詞や行動には共感する部分が多かったりもするのですが、せっかくなので一つ紹介してみますね。この言葉は私の中の変態の定義とあまりにもぴったりと一致したので印象に残りました。
『毛皮を着たヴィーナス』を読んで以来、変態さんの可愛さ、素晴らしさと出会ったときには、いつもこのワンダの台詞が頭の中に浮かんでくるのです。ある種の深み、熱情、生真面目さ…。変態さんってみんな自分だけの道を持っている人だと私は考えているのですが、それは自分で自分と向き合わなければ見つけ出せないもの。自分に正直に生きることって大事だし、かっこいいとも思うのです。マゾってみんなロマンティックだしね。
三津香 Mitsuka
追記
「毛皮を着たヴィーナス」という言葉自体は有名ですよね。マゾヒズムの語源になった人、マゾッホの代表作として、教科書にも載っていたような。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲のタイトルにもなっていますよね。Velvet Underground - Venus in Furs
私は音楽が好きで学生時代は古いCDを調べて色々聴いたりもしていたのですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのこのバナナのアルバムは通学中によく聴いていました。タイトルを見て「あ、SMだ。かかわらないでおこう…」と思いつつも深く考えることなく聴いていましたが、こんな歌詞だったんだ。こんな曲を朝一で聴いていたから、私、ミストレスになっちゃったのかな…。興味のある人は調べてみてくださいね。笑
さて、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』、前後はさておき、私はなかなかの傑作だと感じました。読まれた方はどのように思われましたか?未読の方にも是非一度読んでいただきたいです。変態諸氏の感想も聞いてみたい。あらすじはもうご存知の方も多いかもしれませんが、ウィキペディアにいい感じにまとまっていたので引用してみます。
毛皮を着たヴィーナスと戯れる夢をみていた「私」は、来訪していた友人宅の従僕に起こされる。友人であるゼヴェリーンにその奇妙な夢を語りながら、「私」はふと壁にかかっていた絵がまさに「毛皮を着たヴィーナス」を描いていることに気づく。独自の女性観を持っているゼヴェリーンは、粗相をした女中に鞭打とうとすることを制止した「私」に、夢の話への返答として、かつての自分の経験をまとめた原稿を読むことを薦めた。それによれば、退屈なカルパチアの保養地で過ごすゼヴェリーンは、そこで彫刻のように美しい女性、ワンダと出会った。まだごく若い彼女は未亡人であった。ゼヴェリーンはその美貌と奔放さに惹かれ、またワンダも知性と教養を備えた彼を愛するようになる。自分が苦痛に快楽を見出す「超官能主義者」であることを告白した彼は、ワンダにその苦痛を与えて欲しいと頼む。そして自分を足で踏みつけ、鞭で打つときには必ず毛皮を羽織ってくれ、とも。はじめはそれを拒絶していたワンダだが、彼への愛ゆえにそれを受け入れる。そして2人は契約書を交わし、奴隷と主人という関係になる…。
こんな感じです。これだけでゾクゾクしてしまう人も多そう(笑) 直接的な猥褻シーンはほとんどないかもしれません。でも、変態さんたちには大変なんじゃないかな。ゼヴェリーンの挿話全体がフェチに次ぐフェチのオンパレード、そしてゼヴェリーンに"教育"され、サディストとして目覚めていく女性、ワンダの描写の素晴らしいこと!窒息しそうなほどの大ボリュームでにやにやし、時には笑いころげ、うっとりしたりもしながら、一気に読んでしまいました。
冒頭で紹介される絵画があるのですが、その描写だけでも私は笑いが止まらなくなってしまいます。どんな絵か気になるでしょう?それはね、長椅子に寝そべり毛皮を着た女性が片手に鞭を持ち、足元にいる奴隷らしい男に足を載せながら今にも気まぐれをおこして鞭でその男を打つのではないかという雰囲気を漂わせているというもの。これだけで天に召されてしまいそうな方も多いと思うのですが、いわゆるノーマルの方にはぴんとこないのかもしれません。本当に?信じられない…。
ゼヴェリーンを訪ねてきた友人がこの絵をよく見ると、この跪いている方の男の顔がゼヴェリーンだったと気付くシーンもかなりおかしいです。その後、普通に会話を続ける二人。この展開も別の意味で無理だわ…。シュールすぎてお腹が痛い。笑
これは小説を書いた後にマゾッホ本人が愛人と撮った写真なのですが、
『ヴィーナス』に登場する絵画そっくりです。
マゾッホは大学教授で小説家としても成功していたそうですが、小説の構造もなかなか複雑ですよね。ドイツの小説家らしく、ゲーテの『ファウスト』を引用したりしています。(『ファウスト』は戯曲ですが、これも私の人生の一冊かも。常々ファウストみたいに生きて、最終的にマゾの天使か何かに救われて、天国へ昇ってやろうと考えています笑)
時代としてはマゾッホはゲーテと入れ違うように生まれているのですが、やはり当時の小説の空気感を継承しているように思います。重厚でスケールが大きく、読み応えのある大小説で面白かったので、変態ではない読書家さんにもおすすめできるかも。私は「その結論はどうなの?」と思ったゼヴェリーンの格言ですが、そうした教養小説めいた構造、つまりゼヴェリーンとワンダの恋愛の挿話が別視点で語られた手記として挟み込まれているところなども古典的でなかなかよいなと思いました。
ワンダの台詞や行動には共感する部分が多かったりもするのですが、せっかくなので一つ紹介してみますね。この言葉は私の中の変態の定義とあまりにもぴったりと一致したので印象に残りました。
あなたって人がとても面白い。男って十中八九月並みなものよ。弾みもなければ、詩情(ポエジー)もなくて。でもあなたにはある種の深みと熱情があるわ。とりわけ生真面目さが。それが面白いの。あなたなら好きになれるかもしれないわ。
『毛皮を着たヴィーナス』を読んで以来、変態さんの可愛さ、素晴らしさと出会ったときには、いつもこのワンダの台詞が頭の中に浮かんでくるのです。ある種の深み、熱情、生真面目さ…。変態さんってみんな自分だけの道を持っている人だと私は考えているのですが、それは自分で自分と向き合わなければ見つけ出せないもの。自分に正直に生きることって大事だし、かっこいいとも思うのです。マゾってみんなロマンティックだしね。
三津香 Mitsuka
追記
25日は久しぶりの出勤にもかかわらず、沢山のご予約、お問い合わせありがとうございました♪ 新しい出会いもあり、新たな扉を開いていただいたり、久しぶりにお会いする方もいて、とても充実した楽しい時間を過ごせました。あの秘密、この秘密、どれも素敵でした。
SM不足でストレスMAXでしたが、私自身も癒されたように思います。心の中だけにしまっておきたいこともあるけれど、またブログにも少しずつ記録していけたらいいな。そして、セッションを終えたいま、伝えたいこと、お話ししたいこともたくさんです。会いに来てくださった方、ありがとうございました。またそう遠くないうちにきっとお目にかかりましょう。